「そっちじゃないですよ!」とおじさんに制止されたが、「いいんです!」と言って、脇道にそれた。往路11キロ過ぎの地点だ。
復路を懸命に走っているランナーを応援しながら、静かにゼッケンを外し折り畳んだ。
この地点であれば、折り返して来る相棒に会えると思い、待つこと数分、相棒に「リタイア!」と叫び、伴走を開始する。
復路13キロ地点、皮肉にもこの時間から体調が回復し、ゴールに向かって再び走り始める。
もちろん「完走」ではないのだが、軽井沢の別荘地は紅葉も鮮やかで実に気持ちよく、収容バスに乗ることもなく、残り8キロを進む。
相棒は足がだいぶ重くなって来たようで、表情も辛そうであったが、時折ストレッチを交えながら、制限時間(2時間30分)を目標に走り続ける。
最後の関門を15秒前に通過し、無事、プリンス・ホテル駐車場のフィニッシュ・ゲートを2人でくぐった。
相棒は完走、わたくしは2キロショートの結末であった。
もちろん「公認」レースであれば、わたくしのような行為は認められないのであるが、
そこは「リゾートマラソン」、遠方からのランナーを暖かく迎えてくれた(勝手にそう解釈)のである。
原因は、前日の夜から始まる。
5月に一度宿泊したペンションのご主人が気に入り、今回はぜひゆっくり話がしたいと、夕食後にミニ・バーでまた飲んでしまったのだ。
予想どおり、ダンディな方で、地元の話から始まりとりとめのない話で盛り上がっている内に、オン・ザ・ロックを3杯いただいてしまった。
軽井沢の氷とバランタインが絶妙であったのだ。
もちろん、夕食もすばらしく、地元のビールで乾杯、これまた地元のワインもほとんど一人で1本空けてしまったので、少々量が過ぎたようだ。
自制心のある相棒と違い、ブレーキの位置を知らないわたくしのいつものことであるが、後で領収証を見たときに「これは明日のマラソンは駄目だ!」と相棒は思ったようだが、時すでに遅し。
誰か止めてくれい!
そんな訳で、スタート時間になっても、少々残っている感じであったのだが、いつものことで、走り出してしまえば体調回復するだろうと思い、司会のダンカンさんに軽快に手を振りスタートしたのだ。
最初の誤算は暑すぎたことだ。
軽井沢銀座を北上するのだが、結構登りになっており、軽い脱水症状になった。
3キロ地点で、今度はお腹が痛くなり、トイレを探しながらの迷走状態になってしまった。
おかげさまで、5キロ手前で軽井沢警察のトイレの個室を借りることができ、すっきりしたのだが、10分以上のロスと、身体が冷えてししまい、すっかり戦意が萎えてしまったのだ。
ハーフマラソンだと、同じ時間帯に全体が大きな固まりになって動いて行くので、10分以上ロスすると、ほぼ最後尾になってしまうのだ。
案の定、コース上にはもうほとんど人はいなく、コップの残骸を片づけ始めた給水場のおばさんに励まされるものの、頭は真っ白になり、進むかゴールに戻り相棒を迎えるか、思考も定まらなくなってくる。
それでも、このよれよれアスリートは、とにかく10キロ迄は行こうと決めて進み出したのである。
別荘地では、最後の1人迄応援しようと思ってくれるのか、旗を振り大きな声を出してくれるのだが、うつむき加減の自分が情けなかった。
ゴールに向かう、復路の多くのランナーの視線を受けつつ、よたよたととりあえず11キロ地点迄たどり着いたが、「二日酔いランナー」に軽井沢のコースも甘くなかったのだ。
こうして、秋の軽井沢ハーフマラソンは終わった。
走りは不本意なものであったが、軽井沢の秋の空気を存分に楽しみ、ペンションでの語らい、買い物・食事と、実にくつろげた週末であった。
最後まで諦めずに激走する相棒や、老若男女のランナーを見ていると、奥から熱いものがこみ上げて来た。
やはりマラソンはすばらしい。
(わたくしは猛省します)